中田英寿のローマ・パルマ・ペルージャ時代。彼のフィジカルとプレースタイルとは?

 

今回は、元日本代表でセリエAでも大活躍していた中田英寿氏のペルージャ・ローマ・パルマ時代を踏まえながら、彼の持つフィジルカルやプレースタイルについてお伝えしていこうと思います。

 

と、その前に...

 

私が当時まだ高校1年生だった時に、関東大会の1回戦で中田英寿氏のいる韮崎高校と対戦しています。あちらは、山梨県代表2位で関東大会に出場し、こちらは茨城県代表1位で関東大会に出場しています。

 

当時、私が所属していたサッカー部(高校)は、全国大会への出場経験がまだ一度もありませんでしたので、試合前からどのような結果になるのか個人的に凄く興味がありました。

 

下記の前園真聖の記事でも触れたように、この試合には、当時の国見高校サッカー部監督であった小嶺忠敏氏も視察に訪れており、話によると、高校生の日本選抜候補になっている選手を見に来ていたとのことでした。

 

前園真聖の若い頃(全盛期)のドリブルは世界トップレベルか?現役時代の動画で検証してみる。

 

当然、小嶺氏の目当ては中田英寿氏だったようですが、私が所属するサッカー部にも1~2人候補者がいたので、わざわざ九州から関東大会の各試合を観戦しに来ていたようです。

 

ちなみに、こちらの試合結果ですが...

 

1ー1で引き分けとなり、延長戦の末、決着がつかずPK戦で残念ながら負けてしまいました。

 

この試合で、中田英寿氏も出場していたはずですが、当時は彼の事よりも自分たちのチームを応援することに夢中だった為、彼のフィジカルとかプレースタイルというものは、全く記憶に残っていません(汗)

 

その後、高校2年生の時に「同級生」が東日本選抜に選ばれ、そこで中田英寿氏と一緒にプレーをしたそうで、彼のプレーについて同級生に感想を聞いたところ...

 

「上手い」というよりも、とにかく「基本技術のレベルが高い!」とのことでした。

 

そして中田英寿氏は、高校卒業後にベルマーレ平塚に入団し、私の同級生は大学サッカーの道へと進みます。そして、あれよあれよという間に、中田英寿氏はオリンピック代表、そして日本代表に選出され、更にイタリア・セリエAのクラブへと移籍してしまいました。

 

私の同級生も、当時は8つのJクラブからオファーがあったそうでしたが、「将来のことを考えて教員の資格を取得しておく」ということになり、大学進学の道を選択しました。

 

ちなみに、この私の同級生ですが...

2年生のオランダ遠征時には、現地の指導者(ピム・ファーベーク)に「日本に返したくない!」とまで言わせた選手でした。ですから、当時から「それなりのレベルだった」と皆さんもある程度は推測できるはずです。

 

彼も当然、大学卒業後に「当時JFL加盟クラブからJクラブ昇格」までプロの世界でプレーをしていますので、プロのサッカー選手としての素質は十分あったはずです。

 

しかし、今回取り上げる「中田英寿氏」は別次元というか...

高校生の頃から、「常に将来を見据えて自分の人生を歩んでいる」というのが感じられますよね。

 

こうしたこともあってなのか、彼はセリエAへの移籍、そして名門ローマへの移籍と進み、日本人として唯一(初)のスクデット獲得に貢献した選手なのではないでしょうか。

 

目次

①中田英寿のセリエA時代。ペルージャからローマへ...

セリエAのASローマのクラブフラッグ

私も高校時代に彼と同じ学年でサッカーをしていたわけですから、当時の彼にはとても興味がありましたし、高校卒業後も陰ながらテレビの前で応援していました。

 

1998年フランスW杯のアジア予選では、既に日本代表の中心メンバーとして出場しており、本大会への初出場、および本大会終了後にベルマーレ平塚からペルージャに移籍しています。

 

ここまでならば、多くの日本人が成し遂げてきた結果と思うでしょうが...

 

ペルージャ移籍後、その初戦となった強豪ユベントス戦で、彼は更に凄いことをやってのけるのでした。

 

1.ペルージャ×ユベントス

 

この試合の対戦相手であるユベントスには、ジダンデルピエロダービッツといった超有名な世界トップレベルの選手たちが出場していました。

 

試合前の予想では、当然ながらペルージャが大敗するだろう...と誰もが予想していたはずです。

 

しかし...

 

(一部省略していますので、約40秒の動画です)

 

 

動画をご覧になってみて分かると思いますが、彼はどんな相手であろうと全く動じることなく、この試合で何と 2ゴール も決めています。

 

これまでの日本サッカーの歴史において、「信じられないようなことを成し遂げた!」と、当時テレビを見ながら興奮していた記憶があります。

 

(当時の日本人海外リーグ最多得点記録も更新しています!)

 

そして、このペルージャ時代は、リーグ戦およびカップ戦も含めて52試合に出場し、13得点を記録しています。

 

2.ASローマでの伝説!

 

ペルージャ移籍から約半年という期間で、中田英寿氏は強豪ASローマに移籍しました。

 

そして、このASローマというクラブには、中田英寿のライバルとなる「王子」という愛称も付けられていたフランチェスコ・トッティという超大物スター選手が在籍...

 

その為、このクラブでのレギュラーとしての出場は大変厳しく、トップ下は主にトッティにポジションを奪われ、中田英寿氏はボランチでの出場が多くなっていました。

 

また、この時に「外国人出場枠」という問題もあった為、試合に出場する機会も徐々に減っていくことになります。

 

そんな中、リーグ戦の対ユベントスにおいて、試合開始から僅か6分でデルピエロジダンから2得点を奪われ、もはや敗戦濃厚となった試合(またか!)で、中田英寿はとんでもないことをやってのけるのでした...

 

後半15分位のところでしょうか...

何と、あのトッティと中田英寿が交代!

 

そして後半19分!!

(一部省略していますので、約25秒の動画です)

 

この後、中田英寿氏のシュートをGKファンデルサールが弾いたボールをローマ選手が押し込んで、2-2の引き分けに持ち込むことに成功します!

 

こうした経緯もあり、ASローマはシーズン優勝を果たし、中田英寿氏は日本人初となるスクデットを獲得しました。

 

なお、このASローマには、当時のアルゼンチン代表バティストゥータ、ブラジル代表カフーなども在籍していました。

 

ホント凄いクラブで中田英寿氏はプレーしていたのですね(汗)

 

②パルマ以降の中田英寿。彼のフィジカルの正体とは?

背を向けた男性が両腕をかかげて上半身の筋肉を見せている画像

中田英寿氏が、セリエAという過酷なリーグでシーズンを通してプレーできたのは、やはりフィジカルが優れていたからだと思います。

 

他の選手たちも、彼の「フィジカル」や「頭のキレの鋭さ」を褒めており、「彼こそが真のプロフェッショナルだ!」と、当時のチームメイトが揃って口にしています。

 

では、彼のフィジルカルとは「どのようなもの」なのでしょうか?

(一部省略していますので、約40秒の動画です)

 

 

この動画で見られる彼の身体の使い方(コーディネーション)ですが、当時これを中村俊輔選手がこのようにテレビで話していました。

 

「ヒデさんがボールをキープする時の技術を参考にしている」

 

これがどのような技術かというと...

相手ディフェンスが後方からショルダータックル等をしてきた時に、その力を利用して前に出ていく技術のことを指しています。

 

日本人は身体が海外選手よりも小さい為、「フィジカルが弱い」と思われがちですが、この中田英寿氏のように、相手の力を上手く利用することで、過酷なセリエAというリーグでもシーズンを通してプレーすることができたようです。

 

実は、これを私はリアルタイムで放送を見ていたこともあり、その当時、早速それをサッカーの試合で取り入れてみることにしました。

 

すると、面白いように相手の前に簡単に入れるようになりましたし、他の選手たちからも「何でそんな小柄なのに、相手ディフェンスの前に簡単に出れるのか?」と、何度か質問をされたこともあります。

 

こういう技術を知っているか、知っていないかだけで、サッカーのプレーで「相手よりも得をする」ことができます。

 

他にも、自分がフォワードとしてプレーしている時に、相手ディフェンスが後方からプレッシャーをかけてくる際に、「相手ディフェンスを手玉に取る」ようなボールのキープ方法もあります。

 

ちなみに、これは高校時代に知りました。

 

何故、私がこれを知ることができたかというと、それは、日本代表や鹿島アントラーズで活躍していた鈴木隆行氏を高校時代から良く観察していたからです。

 

彼は、お世辞にも高校時代から「技術のある部類の選手」ではありませんでした。

 

でも身体能力やボールキープ能力が非常に高く、それが評価されて、高校時代にU19代表にも選ばれていました。なので、彼がいる高校と試合をする時は、彼がボールキープする時の身体の使い方をずっと観察していました。

 

こうした技術を上手い選手から盗むことで、小柄だった私が高校時代に1軍に昇格して、更にレギュラー争いまですることができました。

 

まだブログでは、こうした「皆さんが知らない技術」をほとんどお伝えしていませんが、現在行っている下記のムービレッスンをご利用になっていただければ、随時アプリなどを使って個人的にお伝えすることができます。

 

ムービーレッスンの課題動画について

ムービーレッスンについて

 

さて、それでは本題に戻りましょう。

 

先ほどの動画で見た周囲が言っている中田英寿氏のフィジカルですが、これは古武術で言う膝の抜きが深く関係しています。

 

あえてここで「膝の抜き」について説明はしませんので、興味がある方は下記の記事をご覧になってみてください。

 

サッカーの膝の抜きとLSD。そのやり方とは?

サッカーの膝抜きから得たモノ...井桁理論について

 

こうしたことを世界トップレベルの選手たちのプレー動画を見ながら常に研究し、「どのようにしたら自身もそれを身につけられるのか?」と10年以上も試行錯誤してきました。

 

この中田英寿氏の身体の使い方ですが、世界トップレベルの選手になる為の言わば「入口」と言っても良いです。

 

こうした身体の使い方(コーディネーション能力)を特に海外のサッカーでは、「フィジカルに優れている」と言っているようです。

 

ですから、当時の中田英寿のフィジカルは、単に「筋肉が凄かった」とかではないということです。

 

③中田英寿のプレースタイルについて

サッカーの様々な動きのシルエット

次に、中田英寿氏のプレースタイルですが、こちらも当時のプレー動画を見て、皆さんに感じていただこうと思います。

 

(一部省略していますので、約7秒の動画です)

 

「おいおい! プレーしていないじゃないか!!」

 

そう思った方も多いと思いますが、実はこれが中田英寿のプレースタイルです。

 

ちゃんと彼は、オフザボールの時でも「頭がプレー」していますよ(笑)

 

彼の持ち味は、周囲をしっかりと観察して頭の中にイメージを持ち、それを俯瞰能力としてプレーに活かすことができます。

 

俯瞰能力については下記の記事を参考にしてください。

サッカーにおいて俯瞰する能力や見る脳力を向上させる為に、世界トップレベルの技術を参考にする!

 

この俯瞰能力ですが、ただ単に「俯瞰する能力があるから凄い」ということではありません。俯瞰する能力に加えて、「周囲の状況を速く把握する能力」が必要です。

 

これを現在リバプールを指揮するクロップ監督が、サッカーの中で特に重要視している能力としてあげています。

 

クロップ監督が重要視している能力につては、こちらを参考にご覧ください。

ライフキネティックとは?

 

つまり、当時の中田英寿は、若い頃から世界トップレベルで活躍する為に必要とされる能力の要素を持っていたことを我々に証明してくれていたのです。

 

日本国内において、ライフキネティックが普及する以前から、彼はこうした能力を持っていたのですから、ある意味、サッカー選手として「素晴らしい」ことですし、日本人サッカー選手として誇りに思います。

 

と同時に、これから日本人が世界トップレベルの選手として活躍していく為には、最低でも「中田英寿氏のような能力を持たなければならない」ということでもあります。

 

そうなると、今後、更にライフキネティックの必要性が高くなっていきますよね♪

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

今回は、中田英寿氏のセリエA時代の様子、彼の持つフィジカルの意味、そして彼の持ち味でもあるプレースタイル(能力)についてお伝えしました。

 

ところどころ参考記事が多くなってしまいましたが、それだけ当時の中田英寿には、「サッカー選手として素晴らしい能力があった」ということなのだと思います。

 

この記事を書く為に、4時間以上もかけていますので、これは本当に凄い(汗)

次なる「世界の中田」を見れるのは、果たしていつになるのでしょうかね...

 

 

先ほどお伝えした「ムービーレッス」や「国立市ライフキネティック・サッカースクール」に関して、皆様から質問や疑問があれば、下記の「ご利用についてのお問い合わせ」より気軽にご連絡ください♪