今回は、過去にレフティーモンスターと呼ばれた天才ストライカー”小倉隆史氏の現在“についてお伝えしていこうと思います。
私が当時まだ中学生だった頃、彼は高校生で“四日市中央工業サッカー部の選手として活躍”していました。
個人的に印象的だったのは、1991年の全国高校サッカー選手権大会の決勝で、帝京高校と延長戦の末、決着がつかずに両校優勝したことでしょうか。
当時、Jリーガーになった選手の紹介シーンです。
(一部を省略していますので33秒ほどです)
動画でも紹介されていたように、“小倉隆史を率いる四日市中央工業”には、“四中工三羽烏”と言われた“中西永輔”や“中田一三”がおり、彼らも高校卒業後にプロ選手になっています。
ちなみに、中西永輔氏は日本代表としてワールドカップ本大会にも出場していますので、やはりそうした選手を多く擁するサッカー部が、全国大会優勝を勝ち取る時代だったように思います。
小倉氏自身は、Jリーグ開幕に合わせて“名古屋グランパスエイトに入団”しています。
目次
①オランダにレンタル移籍。オリンピックでの活躍も期待されていたが...
1993年には、”オランダの2部リーグだったエクセルシオールにレンタル移籍“しました。
私は、この頃の小倉隆史氏の活躍を“ストライカーというサッカー専門誌”の中で連載されていたコラムで確認していました。
当時、まだ海外でプレーする日本人選手が少ない中、“オランダで武者修行”をしていたわけですから、個人的に今後の活躍にかなり期待していましたね。
しかも、彼はシーズン途中からの出場で“得点王争いに加わる活躍”を見せます!
何と33試合に出場して18得点の活躍!
少し前だと、“本田圭佑選手”がVVVフェンロー(2部に降格時)で、“37試合で16得点”に匹敵する凄さ!!
ただし、本田圭佑選手がいたVVVフェンローは、本田選手が移籍した年はリーグ1部に昇格していましたので、この2部に降格した後の活躍は、当時の小倉隆史氏とは比較になりません。
それだけ“当時の小倉隆史氏は凄かった!”ということなのでしょう。
噂では、“レンタル移籍中にオランダ1部リーグのフェイエノールト”や他にも数々のクラブからオファーを受けたそうです。
その中には、“名門アヤックスからの接触もあった”とか...
しかし、所属クラブの名古屋グランパスエイトからの帰国要請やオリンピック代表として期待されていたこともあり、“全てのオファーを断ってJリーグに復帰”しています。
当時のファルカン監督が率いる“日本代表メンバーにも選出”されており、フランス代表との試合で“代表初ゴール”を決めたのを今でも鮮明に覚えています。
結果としては大差で負けてしまいましたが、この試合で日本代表が奪ったゴールは“小倉隆史氏の1点のみ“です。
これだけ活躍していたわけですから、当時のオリンピック(アトランタ開催)でも絶対に活躍するはずだと思われたのですが...
残念なことに、“オリンピック・アジア最終予選直前の合宿”で“右足後十字靭帯を断裂”してしまいます。当時の映像を見たこともありますが、宙に浮いてから地面に着地した瞬間に、通常では有り得ない方向に足が曲がっていました(汗)
何故このような事故が起きてしまったのか...当時の私としても、彼のプレーが見れなくなり、本当に残念で仕方がありませんでした。
②怪我を乗り越えて復帰!
そして、この”大きな怪我を乗り越えて“、1998年にグランパスエイトで”復帰“を果たします。
この年は、15試合に出場して2得点
翌年1999年は、7試合に出場してノーゴール...
“怪我から復帰”したものの、この頃から天才と呼ばれていた存在感が次第に無くなってきてしまいましたね(泣)
2000年に、当時のジェフ市原に移籍。
ここで“四中工三羽烏を再結成”するも...
28試合に出場して5得点
2001年には、東京ヴェルディに移籍。
29試合に出場して3得点
2002年の日韓ワールドカップでは、コンサドーレに移籍。
34試合に出場して8得点
2003年~2005年は、当時J2のヴァンフォーレ甲府で自身初となるJ2でプレー。
2006年のJ1に昇格した初戦の試合を最後に引退
よくスポーツのドキュメント番組等で見ることことがありますが、“怪我で泣かされて消えていってしまう天才”というのは非常に残念ですし、日本のスポーツ界にとって大きな損失ですよね。
では、ちょっとだけ当時の彼のプレーを動画で見てみましょうか。
(途中、一部省略していますので約1分弱の動画です)
この当時は、ピクシーこと“ストイコビッチ(こちらは超天才!)”もいましたし、何と監督は後にイングランド・プレミアリーグのアーセナルを指揮することになるベンゲル氏でした!!
③彼の現在は?どこで何をしている?
そんな”小倉隆史氏“ですが、”現在どこで何をしているか?“というと、サッカー選手を引退した後は、主にサッカーの解説者として活躍しています。
持ち前の明るさやひょうきんなキャラを活かして、テレビに出演している姿を我々は何度も見ているはずです。
2016年には、
“名古屋グランパスのGM兼監督に就任”
しかし、クラブ史上最悪のリーグ戦17戦未勝利の記録を作ってしまい、成績不振を理由に休養となり、そして事実上の解任となってしまいました...
この年の名古屋グランパスは、クラブ開設から初となるJ2降格...
生まれ育ったグランパスの監督になったものの、クラブ初のJ2落ちをしてしまうなんて悲しすぎますよね。
1.現在はどこに?
そして、”現在どこにいるか?“というと、地元である”三重県(伊勢志摩)にある東海社会人リーグに所属しているFC.ISE-SHIMA“というクラブでスタッフとして活動しています。
2.何をしているの?
では、このクラブで”何をしているか?“というと、”スポーツディレクター兼アシスタントコーチ(現在は理事長)“として活動されているようです。
2012年には、“日本サッカー協会JFA 公認S級コーチライセンスも取得”していますから、どこかしらのクラブの指導者になっていても不思議ではないですよね。
そして、そんな彼が何と“ライフキネティックに興味を持った”ようなのです!
④ライフキネティック日本支部アンバサダーに就任!
ライフキネティック日本支部公式サイトでも告知されていますが、
正式に“小倉隆史氏”が
“ライフキネティック日本支部のアンバサダーとして就任”
がされました。
【日本支部公式サイト】
(https://lifekinetik.jp/ambassadors-2)
“ドルトムント時代のクロップ監督が、ライフキネティックを取り入れていたことを知り、現地ドイツに行って開発者のホルスト・ルッツ氏に直接簡単な説明を受けた”
資格の取得はドイツではなく、“日本国内で取得”されたようです。
つまり、私たちライフキネティック・トレーナーと同じように、“日本国内で受講”をして資格を取得したようです♪
サッカー関連の情報番組等でも、かなり露出度が高い方だと思うので、今後もしかすと“ライフキネティックの現地リポート”や“ライフキネティックに関する情報”をテレビで放送する可能性が高くなるかもしれません。
偶然?にも彼の記事を書いていたので、追加項目として書かせていただきました(笑)
まとめ
以上、今回は
“天才ストライカーと言われた小倉隆史氏の現在”
についてお伝えしました。
何故、日本では天才と言われたフォワード選手が世界で活躍できないのでしょうか...
これまでにも数多くの天才と呼ばれたフォワード選手が海を渡っています。それでもフォワードとして、世界トップレベルのクラブで現在レギュラーとして活躍している選手は1人もいません。
ミッドフィルダーやディフェンダーならば、これまでに数人ほど活躍していますが、それでも世界トップレベルには まだまだだ遠い と思います。
いつか、日本人でも欧州等の世界トップクラブでバロンドールを受賞するような選手やワールドカップで得点王やMVPを授賞できる選手が出てきてほしいですよね♪
また、彼自身がライフキネティック・トレーナーの資格を取得したので、自身が叶えられなかった “世界トップレベルのフォワード選手を日本国内で育成”してくれることを心から願いたいと思います!
今後も、“小倉隆史氏とFC.ISE-SHIMA”、
そして“ライフキネティックのアンバサダーとしての活躍に注目”していきたいと思います!!